exceeding thousand nights ・15
青の間で一人、シンは短い休息をとっていた。
ミュウを束ねるソルジャーとしての役割を担うシンは、いつも様々な問題への対処を余儀なくされていた。
船内の中で起こった問題であれ、人類からの攻撃であれ、それは昼夜を問わなかった。
だからシンがとれる休息や睡眠は不規則で、短い時間でもそれは貴重なものだった。
そんな貴重な時間であるのに、シンは眠りもせずに何事かを考え込んでいた。
部屋の中央に据えられたベッドに腰掛け、厳しい表情で物思いにふけっていた。
シンが考えているのは、ブルーの事だった。
ブルーが目覚めない───。
当初はいずれ目覚めるだろうと思っていた。
このシャングリラに戻って来たのなら、そのきっかけはいくらでもあるだろうと思っていた。
けれどシンの予想に反して、ブルーは一向に目覚める様子がなかった。
そしてミュウとして目覚めないばかりか、かつての記憶も何も思い出さないままだった。
勝手な振る舞いをしたフィシスに激昂はしたが、彼女の持つ地球の記憶さえも、ブルーの記憶を戻すきっかけにはなら
なかった。
それは彼がかつてこの上なく愛し、焦がれたものだったはずなのに、どうした事かブルーはそれに拒絶反応を示した。
『どうすれば、貴方は目覚める……?』
待っているのに。
こんなにも、気が狂いそうになるくらい、その目覚めだけを待っているのに。
いっそブルーに深層心理検査を施す事もシンは考えていた。
以前の記憶を探って、深く深くアンカーを下ろせば、あるいは記憶が蘇るかもしれない。
ただし、それは酷い精神的苦痛を伴うだろう。そして場合によっては精神崩壊もあり得る。
それにかつての記憶を思い出したら、あの14歳の少年の記憶も自我もどうなるか分からない。
もしかしたら消えてしまうかもしれない。
それでも、再び彼に会える日を、それだけをシンは切望していた。
そのためなら───。
シンの瞳に昏い影が差しかけた時、不意に青の間の外でシンを呼ぶ思念波が響いた。
『ソルジャー……。ソルジャー・シン』
繰り返し自分を呼ぶ思念波に、シンは青の間に張っていたシールドを弱めてそれに応えた。
「ヒルマンか?」
『おお、ソルジャー!』
シンに呼びかけていたのはヒルマンだった。
長老たちの中でもヒルマンは特に温和な性格で、感情を荒げる事などほとんどないが、その声はどうした事か苦渋を滲
ませていた。
『申し訳ありません。実は少々、問題が起こりまして』
「なんだ?」
『ブルーの事で、ソルジャーのご判断を仰ぎたい事が……』
シンが訊ね返すと、ヒルマンの困り果てたような思念がまた届いた。
ヒルマンからの思念波を受け、シンは講義室を訪れた。
室内にはヒルマンとハーレイ、リオ───そしてブルーの姿があった。
ブルー一人が所在無げに椅子に座り、長老二人はその前に立っていた。リオはブルーの背後に立ち、ひどく心配そうな
表情をしていた。
シンの姿を認めたヒルマンたちは一様に安堵の表情を見せたが、ブルーだけはひどく驚いた顔をした。
「お呼び立てしてすみません、ソルジャー」
「いや」
シンはブルーの傍らに歩み寄ると、優しく問うた。
「どうしたんだい、ブルー」
「…………」
ブルーはシンの顔を見上げて、何事か言いかけたが、すぐに無言のまま俯いてしまった。
「黙っていては分からないよ?」
「…………」
シンが再度促しても、ブルーは押し黙ったままだった。
仕方なくシンがヒルマンに視線を向けると、ヒルマンはおもむろに口を開いた。
「実はブルーが、ブリッジへの配属を希望したのです」
「ブリッジだと……?」
「今日、履修課程が終了しまして。以前から考えるように言ってはいましたが、ブルーにどのセクションに配置されたいか、
希望を聞いたのです」
ブルーの希望を聞いたヒルマンは驚いた。まさかブルーの希望先がブリッジだとは、予想もしていなかったからだ。
驚きながら、それでもヒルマンはすぐにハーレイに連絡を取った。
ブリッジの責任者はハーレイだ。
「そうか。それでハーレイがここにいるのか」
「私は船長として、その希望は認められません」
シンの言葉に頷きながら、険しい声でハーレイは言った。
シャングリラの中枢部であるブリッジに配属されている者たちは、総じてサイオン能力が高い。
万が一、計器が故障した時や船の航行に支障をきたした時にも、その持てるサイオンで少しでもカバーできるように、
高い能力が求められた。
もちろん適性もあるので、サイオン能力が高いからといって必ずブリッジ勤務となる訳ではない。
けれどまだ思念波も使えないブルーの希望は認められないと、ハーレイは言った。
『キャプテンがそうおっしゃっても、ブルーはどうしてもブリッジがいいと……』
その成り行きを見守っていたのだろう、リオがシンにそう伝えてきた。
事の次第はシンにも分かった。
改めて見つめれば、ブルーは小さな身体をさらに竦ませて、椅子に座っていた。
シンは床に片膝をついて身を屈めた。
「ブルー、どうしてブリッジを希望したんだい?」
ブルーと視線をあわせて、シンは問いかけた。
「この間の戦闘を君も見ただろう? ブリッジに上がれば、否が応でも人間と戦うのを目の当たりにする事になる」
「はい……」
「君はこの間までアタラクシアで暮らしていた。それなのにミュウと人間が戦うのに耐えられるのかい?」
シンの話す内容は厳しいものだった。けれどそれが現実だった。
ブルーはまた押し黙ってしまったが、しばらくして小さな声でつぶやいた。
「……戦いたくは、ないです」
膝の上で組んだ自らの手を見つめながら、ブルーは答えた。
「ミュウも人間も、僕にはどちらも大事だから……。戦いたくはないです」
ブルーが成人検査でミュウと判断された時、人間たちに銃を向けられ、処分されかかった。ミュウの迫害の歴史も知っ
た。
けれどやはりブルーは人間を憎む気にはなれなかった。
愛しているか、いないかと問われれば、やはり愛していた。
その気持ちはアタラクシアにいる両親や友人へと繋がっていた。きっとずっと変わらないと思える気持ちだった。
「だったら」
「でも、ソルジャーは戦ってる」
シンの言葉をブルーが遮った。
その青い瞳が、真っ直ぐシンを見つめてきた。
「ソルジャー一人が戦っているのに、何もしないでただ安穏としているなんて……。だから、ブリッジに配属になれば、少しで
も───」
と、ブルーは急に頬を赤らめて、口を噤んだ。
元々、何の力もない自分にはおこがましい事だという自覚はあった。けれどつい口にしてしまい、話をするうちにそれがい
かに大それた事なのかを改めて自覚して、ブルーは恥ずかしくなって押し黙った。
ソルジャーの力になりたいと。
声にせずとも、ブルーの気持ちは伝わってきた。
シンは驚いた。
まさかそんな理由で、ブルーが希望を決めたとは思ってもいなかった。
ブルーはますます所在無げな様子で、俯いてしまっていた。
シンはしばらくブルーを見つめ、考えた末に告げた。
「君にブリッジ勤務は無理だ。その資格がないのは君自身分かっているね?」
「……はい」
シンに言われて、ブルーは素直に頷いた。落胆すると同時に、当然だという気持ちも感じていた。
ヒルマンやハーレイたちも、そのやり取りに安堵した。
我がままを言ってすみませんと、頭を下げようとしたブルーの淡い金の髪に、シンが触れてきた。
シンの手に髪を梳かれて、ブルーは訝しげにシンを見上げた。
「ソルジャー……?」
「その代わり、君には僕の補佐をしてもらう」
シンは、ブルーを見つめながらそう告げた。
「それでいいね、ブルー」
「え……!?」
突然のシンの言葉に、驚いたのはブルーだけではなかった。
リオ、ハーレイ、ヒルマンの三人も、その決定に驚いてうろたえた。
『ソルジャー!?』
「お待ちくださいソルジャー、それは───」
「君たちの意見は聞いていない」
リオとハーレイがそれぞれ抗議しかけたが、シンはそれらに目も向けずに冷たく切り捨てた。
立ち上がりながら、その翡翠色の瞳はブルーに注がれていた。
思いもよらない成り行きに、ブルーは呆然とシンを見上げていた。
「僕を助けてくれるね? ブルー」
「は……はい!」
シンに優しく微笑まれ、ようやくブルーは弾けるような返事をした。
その表情は僅かな戸惑いと、そして大きな喜びに満たされていた。
そんなブルーを見つめがら、胸の内がどこか冷めたままであるのを、シンは感じていた。
───この子の中に、彼は眠っている。
彼が目覚めてくれさえすれば、それでいい。
憶い出してくれればそれで───……。
ど…どうでしょうか。
シン、どうでしょうか。
以前、フィシスを叩いた時は、なんとなく非難されつつも許してもらえた感のあるシンでしたが。
今回はどうでしょう。こんなシンでも許していただけるでしょうか〜(−−;)
こんなのシンじゃないわ! という方にはごめんなさいです(><)
でもこの話ではこんななんです〜……。
2008.06.17
小説のページに戻る 次に進む