exceeding thousand nights ・22



   ……最後に目にしたのは彼の後姿。
   銀色の髪と、彼がいつもその背に纏っていた紫のマント。
   だから、その瞬間の彼がどんな表情をしていたのか、分からなかった。
   その紅い瞳はいったい何を映していたのか───知る術はなかった。


  「失礼します」
   夜、ブルーは青の間にやって来た。
   ブルーが手にしているのはシンの服だ。衣糧部から預かった物だった。
   仕事の一つとして、シンの身の回りの世話もブルーはリオから教えられた。
   ソルジャーの補佐としてはまだ力足らずのブルーだったが、こちらはリオからほぼ全面的に引き継いだ。
   リオの負担を減らせればそれだけシンが楽になる。
   ともかく今は自分のできる事をしようとブルーは思っていた。
   奥の小部屋にそれを仕舞おうとして、ブルーは暗く広い青の間を進んだ。
   部屋の中央に据えられたベッドに近づくと、そこに見慣れた姿があった。
  「ソルジャー……?」
   ベッドでシンが眠っていた。
   シンが眠る姿など、ブルーは初めて見た。
   けれど眠るといっても、シンは完全に休んでいる訳ではなく、いつの間にかうたた寝をしてしまったようだった。
   上掛けの上に横向きになった身体はソルジャー服を脱がないままだ。
   それではゆっくり休めないのではないかとブルーは思った。
   起こしてはいけないとも思ったが、どうせならきちんと安らいでほしいとも思った。
   しばらく考え込んだブルーは、シンの傍らに歩み寄った。
  「ソルジャー……」
   きちんと夜着に着替えてもらい、ゆっくりと眠ってほしかった。
   そう思って、何度か小さく呼びかけた。
  「起きて下さい、ソルジャー」
  「…………ん」
   ブルーが何度か呼びかけると、シンが身じろいだ。


   誰かがシンを呼んでいた。
   何度も───何度も。
   それに、重い瞼をゆうるりと開いた。
   途端に視界に飛び込んできたのは眩しい光。
   青の間は暗いが、ベッドだけは常に煌々とした明かりに照らされていた。
   その光の中、誰かがシンの傍にいた。
   心配そうにシンを見ていた。
   眩しさに目を眇めながらその誰かに視線を向ける───。
   その者は銀色の髪をしていた。
   そして美しい、一日たりとも忘れた事などない、整った容貌。
  『……!!』
   心を射るその姿に、咄嗟にシンは手を伸ばしていた。
   抱き寄せて、腕の中の肢体が強ばるのにも構わずベッドに押し倒し、腕の中に抱き込んだ。
   
・  ・  ・
  「ブルー……」
   ようやく帰ってきてくれた。
   戻ってきてくれた。
   万感の想いを込めて、シンは腕の中の身体を強い力で抱き締めた。
   するとどうした事か、彼は驚いたように身を竦めた。
  「ソルジャー!!」
  「……!?」
   耳元で焦ったように自分を呼ぶ声。その呼称に、シンはすぐに夢から覚めた。
   改めて自分が抱き締めている者をシンは見下ろした。
   腕の中にいたのは、14歳のブルーだった。
   シン自らがアタラクシアから連れてきた少年だった。
   驚きながらシンを見上げてくるブルーの髪は、確かにプラチナブロンドだった。
   照明の光の反射で一瞬、その髪が銀色に見えたのだろう。
  「ああ……君だったんだね」 
   つぶやきながらシンは、虚脱感を味わっていた。
   夢の続きかと思った。
   ようやく彼を掴まえた───取り戻したと思ったのに。
   シンが深い落胆を味わっている時、ブルーもまた戸惑いの只中にいた。
   突然引き寄せられ、ベッドの上で抱きしめられた瞬間は訳が分からず、ただ驚くしかなかった。
   弾みでブルーが手にしていた服は、青の間の床に落ちてしまっていた。
   せっかくクリーニングした服がまた汚れてしまう。
   とにかくそれを拾わなくてはと、ブルーはシンを見上げた。
  「あの……離して下さい、ソルジャー」
  「───……」
   ブルーの言う通り、シンはブルーを解放しようと思った。
   けれどそう思うのと同時に、腕の中のぬくもりは離し難かった。
   もう少しだけ夢の余韻に浸っていたかった。
   一向に離してくれないシンに、ブルーは戸惑った。
   シンのベッドで、こんなに近くにいるなんて、落ち着かない事この上なかった。
  「ソルジャー」
  「“ジョミー”だよ」
   何とかして離してもらおうとブルーが再びシンを呼ぶと、シンから思いがけない事を言われた。
  「え……?」
  「ジョミーと呼んでくれ」
   すぐには、ブルーはシンから何を言われているのか分からなかった。
   戸惑うブルーに、シンは静かに告げた。
  「ジョミー・マーキス・シン。……それが僕の名前だ」
  「……!」
   それはブルーが初めて知った事だった。
   今までシンのフルネームなど、誰も教えてくれなかった。ブルーも聞かなかった。
   何よりシンは「ソルジャー・シン」であり、一個人としてよりミュウの長としての認識の方が強かったからだ。
  『ジョミー・マーキス・シン───……』
   胸の中で何度も、ブルーはそれを繰り返しつぶやいた。
   同時にブルーは、自分の中で不思議な感慨が湧き起こるのを感じていた。
   それはとても大切な事のように───知っていた事のように、ブルーの胸の奥に染み入った。
  「ブルー、呼んで」
  「……ジョミー……?」
   シンに促され、ブルーは恐る恐るその名を口にした。
   そう呼んだ途端、シンは嬉しそうに表情を綻ばせた。
   そして離されるどころか再び強い力で抱き締められて、ブルーは呼吸が苦しくなった。
  「ソ、ソルジャー!」
  「ジョミーだと言っただろう?」
  「でも───」
   ミュウの長であるシンを、ファースト・ネームで呼び捨てにするなど、ブルーにはとてもできなかった。
   それがシン自身に乞われた事であってもだ。
   なのにシンは、繰り返しブルーに言った。
  「君には、そう呼んでほしい」
  「どうして……?」
   そのシンの懇願に、ふとブルーの胸に疑問が湧いた。
   それはずっと以前にも感じ、不思議に思っていた事だった。
  「どうして皆、僕に呼び捨てにされたがるんですか……?」
   その疑問に、ブルーを抱き締めながらシンは内心ギクリとした。
  「ソルジャーも、リオもフィシス様も……この船の皆が揃ってそうなんです。まるで───」
   まるで誰かにそう呼ばれていたみたいだ、と言いかけてできなかった。
   シンがさらにブルーを引き寄せて、その胸に抱き込んだからだ。
   ブルーは驚いて身体を離そうとしたが、体格差ではとてもシンにかなわず、抵抗は何の意味もなさなかった。
   シンの逞しい胸板を頬で感じて、ブルーは真っ赤になった。
  「ソルジャー、あの、離して下さい……!」
  「君が名前で呼ぶまで、離さないよ」
  「そんな……っ」
   突然、無理難題を持ちだされて、ブルーはうろたえた。
  「簡単な事だろう?」
  「で、でも───」
   シンは微笑んで何度もブルーを促したが、ブルーは言葉に詰まり、シンの腕の中で困り果てた。
   たわいないやり取りは平行線を辿り、ブルーが先ほど感じた疑問は霧散してしまった。


   結局、ブルーはシンをファースト・ネームでは呼べなかった。
   何度も呼ぼうとしては口を開きかけ───でもどうしても躊躇われ、呼べなかった。
   床に落とした服もそのまま、いつしかブルーはシンに抱き締められたまま眠ってしまった。
   静かな寝息をたてるブルーを腕の中に収めながら、シンは甘い想いと苦い想いを同時に感じていた。
   ブルーはまだミュウとして目覚めてはいない。
   もしもシンの心が読めたら、そんな風に大人しくシンの腕の中にはいられなかっただろう。


   ……早く目覚めて。
   僕が君を壊してしまう前に───。




やっと!
やっとこちらの話でもシンと子ブルのスキンシップが書けました〜(^^)
大した事はしていませんが、この回は特に書きたいと思っていた一つなので、やっと辿り着けて嬉しいです〜v


2008.09.15





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