exceeding thousand nights ・35



   眠りに沈んだ意識に、それは何度も何度も触れてきた。
  『死なないで……』
  『どうか目を覚まして』
  『僕が貴方を、地球に連れて行くまで───』
   強い想い。
   まるで泣いているように必死に、それは願っていた。
   祈りにも似たそれは深い深い悲しみを帯びながら、願ってくれていた。
   その度に悲しまないでほしいと思った。
   生まれたからには、生きとし生けるものはすべて死んでいく。
   ミュウとして生きた身は、人間よりも3倍もの長い長い年月を過ごしてきた。
   それは一生命体としては、充分すぎるほど長い時間だった。
   地球へは辿り着けなかったけれど───やり残した事も数多いけれど。
   けれどそれを託せる後継者を見つけられた。
   だから自分の生には満足していた。
   何も悲しむ事はないのにと思っても、寄せられる悲しみは変わらなかった。
   その思念波に導かれるように、意識はゆっくりと目覚めた。


   薄っすらと瞼を開けると、この数十年ですっかり見慣れてしまった青の間のベッドの天蓋が見えた。
   暗い部屋の中で、ここだけがぼんやりと明るかった。
   そして、ベッドの枕元に誰かが居るのが見えた。
   まぶしい金色の髪───けれどフィシスではない。
   背に緋色のマントを纏ったその人物は、シーツに腕をついて顔を伏せていた。
   声をかけようとして、できなかった。
   喉は渇いて、声を出そうにも困難だった。
   だから代わりに思念波で呼びかけた。
   肉体を動かすよりも、サイオンを使う方が今はもう自分には容易かった。
  『……ジョミー?』
   呼びかけると、金色の影は飛び起きた。
  「ブルー!?」
   それまで打ちひしがれたように沈んでいたジョミーは、目覚めた自分───ブルーの顔を覗きこんできた。
   面立ちにまだあどけなさを残す少年は、目覚めたブルーに涙を流さんばかりに喜んだ。
  「目覚めてくれたんですね」
   ジョミーはブルーの手を取ると、その手の甲に唇で触れてきた。
   愛しそうに、大切そうに。
   何度も触れてくるその温もりを感じながら、ブルーはジョミーに問いかけた。
  『僕は……どれくらい眠っていた?』
  「二ヶ月です」
  『そうか……』
   今回の眠りは長かったようだ。
   ブルーには時間の感覚がなくなっていた。
   意識が深層まで落ちて眠りが深くなると、目覚めるまでに長い時間を要するようになっていた。
  『また君に心配をかけてしまったようだね。すまなかった、ジョミー』
  「…………」
   ブルーの呼び掛けに、ジョミーは返事をしなかった。
   そんな事はないと言うには、ジョミーはずっと不安とともに過ごしていた。
   ジョミーも16歳を過ぎ、最初こそぎこちなく着ていたソルジャー服もすっかり似あうようになっていた。
   次代の長として学ぶにつれ、ジョミーは逞しく成長していた。
   けれどジョミーがシャングリラで過ごす時間が長くなればなるほど、ブルーの衰弱は逆に激しくなっていった。
   元々、目覚めていられる時間は少なかったがそれがさらに少なくなった。
   残り少ない命を少しでも繋げるように、ブルーはただただ青の間で眠り続けた。
   そこへジョミーは毎日通い続けた。
   一日の終わりに、ブルーのいつとは知れぬその目覚めを待って。
   それを知ってはいても、もはやブルーの身体は自分でさえも自由にはできなくなくなっていた。
   しかしいざブルーが目覚めても、ジョミーの顔に笑顔が戻ったのは一瞬だった。
   ブルーを見つめるうちに、その顔は今にも泣き出しそうなものに変わっていった。
  『ジョミー……?』
   不思議に思ったブルーは、ジョミーの名前を呼んだ。
  「貴方はいつか、僕を置いていってしまうの……?」
  『───』 
   ジョミーの質問にブルーは答えられなかった。
   ブルーの寿命が尽きかけている事はジョミーも知っていた。
   だからこそジョミーは後継者に選ばれたのだ。
   その答えはジョミーもよく分かっているだろうに、それでも聞かずにはいられないほどジョミーは不安だった。
   だから、ブルーはただ微笑んだ。
   ジョミーが少しでも心安らかにいられるように願って、微笑んだ。
   けれど逆に、ジョミーは堰を切ったように叫んだ。
  「そんなの───嫌だ!」
  『ジョミー……』
  「貴方がいなくなるのは嫌だ」
   ジョミーはずっと怯えていた。
   眠り続けるブルーがこのまま目覚めないのではないか、もしかしたらこのまま死んでしまうのではないかといつも不安
  だった。
  「貴方がいなくなったら、地球を目指すのに何の意味があるの……?」
  『ジョミー!』
   ブルーが咎めるようにジョミーを呼んだ。
   それは長として言ってはいけない事だった。
   けれどジョミーにとってブルーは地球を目指す理由のすべてだった。
   今ではない、けれどそう遠くはない時に、ブルーの死は確実に訪れるだろう。
   それを想像するだけで、ジョミーの想いは乱れた。
  「死なないで、ブルー……」
   ついにジョミーの翡翠色の瞳から、涙が零れた。
   ブルーの手を引き寄せ、頬を寄せた。
   その涙がブルーの指を濡らした。    
   ジョミーは、その涙さえもが温かかった。
  『泣かないで……』
   できる事ならこのまま留まっていたい。
   ジョミーの傍にいたい。
   ミュウの皆を守りたい。
   そして───……地球を見たかった。
   けれど死はもう遠くない時に、確実にブルーに訪れるだろう。
   それを叶えるには地球は遠過ぎた。
   残った時間は少な過ぎた。
   ただこのまま、ジョミーを悲しませたままにはしたくなかった。
  『ジョミー、泣かないでくれ……』
   だからブルーはジョミーに告げた。
   今だけでも泣かせたくはなかった。
  『約束する。君を一人にはしない』
   自らではもうほとんど動かせない身体で、それでも微かにジョミーの手を握り返した。
  「ブルー……」
  『僕はいつか、きっと君の元に戻るから』
   ブルーの言葉に、ジョミーはようやく涙を止めた。
   そう口にしたブルーの気持ちに嘘はなかった。
   もしも魂というものがあるなら、輪廻というものがあるなら、きっとまたジョミーを見つけ出そうと思った。
   けれど同時に、ブルーが死んでも、ジョミーはブルーの死を超えて行ってくれるだろうと信じていた。
   ブルーが死んでも、ジョミーの傍にはミュウの皆がいてくれる。
   ジョミーは一人ではないのだから、大丈夫だと信じていた。
   その言葉がどれほど深くジョミーを縛るかなど思いもせずに───。
  「ブルー……」
   不意に、ジョミーが近づいてきた。
   その瞳が熱を帯びているのに気づいた。
  『……ジョミー……』
  「約束して、くれる……?」
  『ああ、約束するよ』
   ブルーの返事に、ジョミーは微かに笑顔を見せた。
   それ、ブルーもまた安堵した。
   そして、まだ声の出せないブルーの唇に、ジョミーの唇が触れてきた───。


  「───!!」
   ブルーは瞼を開いた。
   ベッドの上で身を起こすと、身体は寝汗をびっしょりとかいていた。
   慌てて周囲を確認するように見やると、そこは確かに自分の部屋だった。
   眠る前と同じ、シャングリラの居住区にあるブルーの部屋だった。
   枕の横のシーツの上では、レインが身体を丸めて眠っていた。
   青の間ではなかった。
   そして自分は───自分だ。
   けれど───。
  「今のは……夢……?」
   夢の中、青の間で一緒にいたのはシンだった。
   まだ少年ではあったが瞳の色も金色の髪も、何より顔立ちがシンその人だった。
   着ている服も、シンしか着ていないソルジャー服だった。
   夢の中の自分は、シンをファーストネームで呼んでいた。
   そして、シンも「ブルー」と呼んでいたけれど───それは自分に向けてではなかった。
  「どうして僕、こんな夢を……」
   けれど夢にしてはひどく鮮やかだった。
   悲しみは深く、思い出せば今も胸が軋むようだった。
   そして触れてきた唇は、熱かった。 
   まるでかつて、本当にあった事のような───。
   それはシンに対して失礼な気がして、ブルーは頭を振ってそれを打ち消した。
  「ただの夢、だよね……」
   再び眠ろうとしてベッドに横たわったが、ブルーはなかなか寝付けなかった。




子ブルとブルーが同じ名前なのは、書いてみるとなかなか難しいですね(^^;)
ちなみに、子ブルの名前は養父母が別の名前をつける筈でしたが、シンが「ブルー」にしてしまいました。
シン、強引だから…。
機会があったらそのシーンもいつか書いてみたい気もします。


2008.12.14





              小説のページに戻る                次に進む