exceeding thousand nights ・36



   倒れてから一週間ほど過ぎた休日、ブルーは天体の間にフィシスを訪ねた。
   時折はフィシスを訪ねていたが忙しかった事もあり、少しだけ間が空いてしまっていた。
   しかし天体の間に一歩踏み入ったブルーは、足を止めてしまった。
  『ああ、ここもだ……』
   ブルーはこの天体の間にも強い懐かしさを感じた。
   久しぶりに訪れたのは確かだったが、それにしては胸にこみ上げてくる感情が強過ぎた。
   まるで自分のものではないような───。
   戸惑ったまま足を止めるブルーの肩に乗っていたレインは、焦れて床に飛び降り、フィシスの元に走り寄った。
  『ふぃしす!』
  「まあレイン、久しぶりね」
   フィシスは足元に駆け寄って来たレインを、細い手を伸ばして抱き上げた。
  『ふぃしす、アイタカッタ』
  「私もよ、レイン」
   嬉しそうにレインは尻尾を振った。
   そこへブルーも近づいた。
   フィシスはその気配に気づき、閉じた瞼をブルーに向けた。
  「お久しぶりです、フィシス……」
   様と続けそうになるのを、ブルーは我慢した。
   他の人がいる時には「フィシス様」と呼ぶが、二人だけの時は呼び捨てにしていた。
   フィシスがぜひにと願ったからだ。
  「よく来て下さいました、ブルー」
   ブルーの挨拶に、フィシスは嬉しそうに微笑んだ。
  「倒れたと聞いたのですが……ブルー、体調は?」
  「もう大丈夫です。心配をかけてすみませんでした」
  「何があったのですか?」
  「いえ……」
   フィシスに問われても、ブルー自身どうして倒れたのか分からず、説明できなかった。
   けれどとにかく元気で過ごしている事を伝えると、フィシスは安心したようだった。
   そしてフィシスに勧められてブルーは椅子に座り、二人は向かい合ってお茶を飲んだ。
   レインはフィシスの膝の上で、丸くなっていた。
   二人はお茶を飲みながら、様々な話をした。
   最近あった出来事、ミュウの事、人類の事───様々な話をブルーはフィシスとした。
   フィシスとのそんな一時は、ブルーにとってとても心休まるものだった。
  「フィシス、聞きたい事があるんです」
  「何でしょう、ブルー」
  「ミュウの中に、僕以外に“ブルー”という名前の人はいますか?」
  「……!」
   ブルーの質問に、フィシスは驚いた。
   驚きのあまり、質問にすぐには答えられなかった。
  「フィシス?」
  「……私の知る限り、今この船にいるミュウで、貴方と同じ名前の者はいない筈ですわ。それはブルー、貴方の方がよく
  ご存じでしょう?」
  「そう、ですよね……」
   ブルーはシャングリラに乗るすべてのミュウの名前を覚えていた。
   確かにブルーという名前の者は、他にはいない筈だった。
   では夢の中でシンがブルーと呼んでいたのは、誰なのか。
   シンとも親しいフィシスなら、もしかして知っているかと思い聞いてみたのだ。
  「やっぱり……ただの夢だったんだ」
  「夢?」
  「いえ、何でもないんです」
   フィシスの問いかけに、ブルーは答えなかった。
  「そうですか……」
   フィシスはそれ以上何も問わなかった。
   もしもブルーから何事かを聞いて、逆に自分が彼の事を口にしてしまうのが怖くもあった。


   久しぶりという事もあり、ブルーはフィシスと長く話しをした。
  「あら……?」
   お茶のお代わりを、とフィシスが席を外したわずかな時間に、ブルーはテーブルに腕を重ねてそこに頭を預けて眠りこん
  でしまっていた。
   成人したとはいえ、まだ子供にしか見えないあどけない寝顔。
   シンの傍にいるのだから、きっと毎日忙しく過ごして疲れているのだろうと思った。
   フィシスはその寝顔をしばらく見守った。
   このまま眠らせてあげたいが風邪を引かせてはいけないとも思い、そっとブルーの傍らに立った。
  「ブルー、起きてください。……ブルー」
  「……ん……」
   何度か名前を呼んでも、ブルーは目覚めなかった。
   フィシスは細い手を伸ばし、ブルーの肩に触れた。
  「───!!」
   その瞬間、フィシスの心に流れ込んできたものがあった。
   いつも固く固く遮断されていたブルーの心。
   けれどそれが少しだけ綻び、そこにフィシスと共鳴する記憶があった。
   そして零れてきた、彼の想い───……。


   ブルーの耳に、微かな声が聞こえてきた。
   それは誰かがすすり泣く声だった。
  『……?』
   その声が眠る意識に触れ、ブルーはいつの間にか閉じてしまっていた瞼をゆっくりと開いた。
  『いけない……。僕、眠っちゃってた』
   ブルーは顔を上げて、驚いた。
   目の前でフィシスが泣いていた。
  「フィシス!?」
   ブルーは驚いた。
   フィシスは声を押し殺しながら、その盲目の瞳からは涙が流れ続けていた。
  「どうして? 何かあったんですか? 僕が何かいけない事を……?」
  「なんでも……なんでもないのですよ、ブルー」
  「でも……」
   戸惑うブルーに、フィシスは涙の理由を話さなかった。
   話せなかった。


   ブルーはフィシスを気遣いながらも、自室へと戻っていった。
   レインを連れて天体の間を後にするブルーの後ろ姿が見えなくなった後、フィシスはまた新たな涙が流れ出すのを止
  められなかった。
   彼がそんな事を望んでいたなど、フィシスは知らなかった。
  『貴方の願いが、どうか叶いますように……』
   フィシスの心に伝わって来たその想いは、ひどく胸に痛かった───。




ブルーはシンとフィシスが親しいと思っていますが、それはちょっと間違っています。
確かに親しくはあるんですけど、微妙に張り合っているというか。
どちらもブルーを大事に想っているからなんですけどね(^^;)


2008.12.27





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