exceeding thousand nights ・ 9



   その日、ブルーはいつもと同じくリオと食堂で夕食をとっていた。
   ブルーがこのシャングリラにやって来てから既に二ヶ月が過ぎていた。
   最初は分からない事ばかりで、あれこれとリオに訊ねていたブルーだったが、日々を重ねるにつれてそれも減っていた。
   けれど今日のブルーは珍しく、リオに様々な事を聞いてきた。
   それに丁寧に答えながら、リオは少々驚いていた。
   ブルーが訊ねてくるのは、ソルジャー・シンの事ばかりだったからだ。
  「そういえば、ソルジャーが耳に付けているあの機械は何なんですか?」
   次の質問もそうだった。
   リオはそれに苦笑しつつ、意地が悪いかなと思いながら、逆にブルーに問いかけてみた。
  『どうしたんですか? 今日はやけにソルジャーの事ばかり聞かれますね』
  「え……そうかな」
  『そうですよ』
   リオに聞かれたブルーは、二、三度瞼を瞬かせた。
  「───……そう、だね」
   自覚はあるのか、わずかに気まずそうな表情をブルーは見せた。
  「うるさかったですよね。ごめんなさい」
  『いいえ、そうではないんですよ』
   誤解して謝るブルーに、リオはそうではないと伝え直した。
  『ただ急にどうしたのかと思って』 
  「……何も知らないって思ったから」
   リオに問われて、ブルーは胸の内を素直に口にした。
  「ミュウの事は皆から色々教えてもらったけど、ソルジャーの事を僕は何にも知らないって気がついたから」
   いつもいつも守って、支えてもらっているのに。
   ソルジャー・シンについてブルーは、「ミュウの長」だという事と、シンが話してくれたわずかな事しか知らないのだ。
  『でしたら青の間に行って、ソルジャーに直接聞いてみてはどうですか』
  「そんなのできないよ」
   リオの提案に、ブルーは慌てて首を横に振った。
  『どうしてですか? ソルジャーも来てほしいと言っていたでしょう?』
   ブルーは一度も、自分から青の間を訪れた事はなかった。一度だけシンに呼ばれて入った事があるだけだ。
  「だってソルジャーは忙しいだろうし、そんなの迷惑にしかならないよ」
   シンやリオがどう言っても、ブルーは青の間に立ち入る気はないらしい。
   昨日はトォニィと取っ組み合いのケンカをして、まだまだ子供らしい一面を見せたブルーだったが、自分を律する大人びた面も
  充分に持っていた。
   14歳という年齢の者が多かれ少なかれ持つアンバランスさだったが、リオはそれを好ましく思った。
  『あれは補聴器ですよ』
  「……補聴器?」
   リオの言葉が、自分の質問への答えだと気づいて、ブルーは俯きかけた顔を上げた。
  『ええ。記憶装置でもありますが』
  「じゃあソルジャーはやっぱり、耳が悪いんだ」
   ミュウは総じて虚弱体質で、身体に障がいを持っている者が多かった。
   健康そうに見えていたけれど、長であるシンもやはりそうなのかとブルーは今更ながらに思った。
   けれど続くリオの言葉は、そんなブルーの考えを打ち消した。
  『いいえ』
  「?」
  『ソルジャー・シンはまったくの健康体です。聴力も何の支障もありません』
   ブルーやトォニィたちが生まれるまではたった一人、ミュウの中で唯一健康な存在だったとリオはブルーに話した。
  「だったらどうして補聴器なんか……」
   ブルーが不思議がるのも当然だった。
   聴覚に支障がないなら、補聴器など付ける者はいないだろう。
   リオはわずかに逡巡した後、慎重に言葉を選んで口を開いた。
  『……形見、なんですよ』
  「形見? 誰の?」
   案の定、誰の物だったのかとブルーは問うてきた。
   リオはこの話はここまでにして、後はよく知らないのだと言うつもりだった。
   けれど続くブルーの言葉に、逆にリオは驚かされた。
  「……もしかしたら、先代の長だった人?」
  『───!』
   どうしてブルーがそれを知っているのか。驚きの余り、リオはすぐには返事ができなかった。
  「リオ?」
  『……誰から聞いたんですか?』
  「誰からって……ソルジャーからだよ」
  『そう、ですか───』
   リオにそう話すブルーの表情はあどけないものだ。どうやらブルーが知っているのは、そういった人がいたという事だけらしい。
   ブルーは生来そうなのか聡明で、利発な子だった。
   それ故か、他ならぬシン自身がブルーに洩らしてしまったのだろう。
   リオは平静を装って話を続けた。
  『随分前に……亡くなられました。だからソルジャー・シンが長の任を継いだのです』
  「亡くなっているの?」
  『ええ』
   リオの説明に、ブルーは首をかしげて見せた。
  「でもソルジャーは、生きているって」
  『ソルジャーがそうおっしゃったんですか?』
  「うん」
   ブルーの言葉に、リオは顔色をわずかに曇らせた。
  『……ソルジャーは先代の長をとても大切にされていたので、認めたくないのかもしれませんね』
  「そうなんだ……」
  『もしかしたら、ソルジャーのお心の中では、生きているのかもしれません』
   今もなお、記憶を薄れさせる事無く鮮やかに。 
   もしくは───……。
   リオは真正面に座ったブルーを見た。
   そんなリオの視線の意味にまでは気づかないブルーは、さらに訊ねてきた。 
  「どんな人だったの?」
  『そう、ですね……』
   何も知らないブルーがそう問うてくるのは至極当たり前ではあったが、リオはどこか複雑な気分を味わっていた。
   ブルーは本当に何も知らないのだと思い知らされるだけだった。
   だからリオは敢えて、まったくの第三者に答えるつもりで口を開いた。
  『我らミュウを導き、最後まで守り抜いて下さった……素晴らしい方でした』
   それは偽りなく、リオが思っている事だった。
  「ふうん……」
   常になく重い口調のリオに、ブルーはそれ以上は何も聞かなかった。


   夕食後、ブルーを部屋の前まで送り届けて、リオは挨拶とともに立ち去ろうとした。
  「あ……リオ!」
   そんなリオをブルーが呼び止めた。
  『はい?』
   呼び止められるなど初めての事で、リオは驚きながらも足を止めた。
  『どうかしましたか?』
  「あの───……」
   呼び止めはしたが、ブルーはどうした事か言葉を詰まらせた。珍しく、その態度もどこか落ち着きがない。
   まだシンについて聞きたい事があるのか、もしくは別の事か。
   リオは急かさず、ブルーが口を開くのを辛抱強く待った。
   しばらくしてブルーは意を決したのか、リオを見上げてきた。
   その顔は微かに赤く染まっていた。
  「リオ、……いつもありがとう」
   ブルーが突然口にしたのは、感謝の言葉だった。
  『どうしたんですか、ブルー?』
   いきなりお礼を言われて、リオの方が面くらってしまった。
  「考えた……っていうか、気がついたんです。僕がこうしていまシャングリラでやっていけているのは、ソルジャーやリオのおかげ
  なんだって」
  『僕は大した事はしていません。ここで生きていこうと決めた、あなたの努力ですよ、ブルー』
  「でも……」
   リオは優しく微笑みかけながら、諭すようにブルーに言った。
   それにブルーは不服そうな顔をしてみせたが、何かを言いかけて一度口を噤んだ。
  「……ちょっとごめんなさい」
   何を思ったのかブルーが突然、その手を伸ばしてリオの手に触れてきた。
  『───!』
   リオは驚いた。
   触れた手からは、リオに対する純粋な感謝が伝わってきた。 
  『ブルー……』
   ブルーはリオに接触テレパスを許したのだ。
   思念波を扱えないブルーには、そうやって他人に思念を読ませる事は一種の恐怖さえあるだろうに。
   実際、ブルーの方からリオに触れてきた事など、今日が初めての事だった。
   リオが自分の思念を読み取ってくれたのを見て、ブルーは手を離すと自室の扉を開いた。
  「それじゃあおやすみなさい」
  『おやすみなさい、ブルー……』
   いつも通りの挨拶を交わし、ブルーは嬉しそうに笑いながら部屋に戻った。
   扉の向こうにその姿が消えても、リオはしばらくそこから動けなかった。


   シンの痛みを、嘆きを───深い悲しみを知っているから。
   ずっとそれを見てきたから、それが癒せるものならばと、リオはシンに従ってきた。
   けれどブルーの素直な、純粋すぎるほどの感謝に、今更ながらにリオの胸は痛んだ。
   リオはその場に立ち尽くしていたが、しばらくしてようやく歩き出した。
   青の間に報告に向かうその足取りは、いつになく重かった───。



ちょっとだけシンが気になりだした子ブルです。
ゆっくりゆっくり、少しずつ。
しかし、そーゆーのを読むのは大好き!!なんですが、書くのはもどかしいですね〜(^^;)



2008.04.23





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